こんにちは!yomです。
宮崎駿監督の作品『もののけ姫』は独特の世界観がある作品ですよね。
❝神様❞の首をめぐって展開する❝にんげん❞と❝森守り❞とのお話ともいえるのかなと思います。
そんな『もののけ姫』に宮崎駿監督がこめてたメッセージを妄想多めに考察してみます。
yomの結論:目先の利益に眩んでいる人間の愚かさを伝えている
唐突に、妄想多めに言い切りました(笑)
シシガミの首を狙う=いのちそのものの危機なのでは?
シシガミ=生と死を担うもの=いのちそのもの
森=いのちの元に在るもの
ニンゲン=いのちの元に在るもの
つまりは、シシガミの中に森もニンゲンもあるということ
こう解釈した時、シシガミの首を狙うということは、
❝いのちそのもの❞の危機を意味するということになるのではないかと考えました。
シシガミの首を狩る=自分の首を狩る ということなのでは?
生と死は循環し、始まりも終わりもないもの。
しかしながら、人間は人間の一生だけが生と死だと思いがちで、
ただ一区切りの生(=人間としての一生)の延長を欲している。
そして、それが目先の利益である認識もない。
シシガミの首を狙っているつもりが、それがいのちそのものの危機である認識もなく、
命の元に在る存在である自分たちの危機であるという認識もない。
人間の愚かさをシシガミの首を狩るという行為で表現しているのでは?
自分たちが生と死の循環の中に在ることを忘れ、私利私欲のために循環を失くそうとしている。
そういった人間の愚かさを生と死を担うシシガミの首を狩るという行為で表現しているように思います。
シシガミの首を狙うということは、
自分の首を狙っているということと同じなのではないかと私は思うのです。
その視野の狭さ・視座の低さに気付かない人間の愚かさを
宮崎駿監督は私たちに伝えているように思います。
まとめ
今回はyomの妄想多めにお届けしました(笑)。
皆さんはどんなメッセージを宮崎駿監督から受け取られましたか?
また、ぜひyomの妄想、聴いてくださいね!(笑)
それでは、また~!
まとめ
- yomの解釈「もののけ姫」は宮崎駿監督からの人間の愚かさを伝えている!
- シシガミの首を狙う=いのちそのものの危機 なのでは?
- シシガミの首を狩る=生と死の循環を私利私欲のために断つ ということなのでは?
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